中蘭学塾の講師となるため江戸へ出た

福沢諭吉は、日本銀行券一万円紙幣の表面の肖像として採用されているため大変有名である。福澤諭吉は1835年1月10日に下級藩士の元に誕生したと言われている。

諭吉という名前の由来は、儒学者であった父の上論条例を手に入れた夜に諭吉が生まれたことからきているようである。

読書嫌いであった諭吉だが、いざ勉学を初めてみると実力をみるみる身に付けていったと言われている。福澤諭吉の学問的・思想的源流にあたるのは亀井学などにある。

諭吉の師である白石照山は、陽明学や朱子学も修めていたが加盟学の思想に重きを置いていたと言われているのだ。そのため諭吉の学問の基本には儒学が根差しているのである。

19歳で長崎へ遊学し蘭学を学ぶようになった諭吉だが、黒船来航によって砲術の需要が高まったこともあり鉄砲の設計図を引くことができるようにまでなったと言われている。大坂で学び1857年には最年少で適塾の塾頭となり、幕末時勢の中蘭学塾の講師となるため江戸へ出たのである。

1859年に渡米した諭吉は、アメリカの文化の違いに関してさまざまな衝撃を受けたと言われているようだ。帰国した後はアメリカで購入した広東語・英語対訳の単語集にカタカナで読みを付け、「増訂華英通語」を出版したのである。

1867年に幕府の軍艦受取委員会随員としてコロラド号という郵便船で横浜から渡米しニューヨークやフィラデルフィア、ワシントンD.C.などを訪れたようである。

帰国後は紀州藩や仙台藩から資金を預かり物理書や地図帳などを買い込み、西洋旅案内を書き上げたと言われている。江戸開城後は帯刀をやめて平民となったようである。

1868年には蘭学塾を慶應義塾と名付け、教育活動に専念することになる。福澤諭吉は蘭学者であり啓蒙思想か、教育者、著述家でもあるのだ。

また慶應義塾の創始者であり専修学校、商法講習所、伝染病研究所の創設などにも尽力したと言われている人物である。現在の日本学士院の初代会長を務め、そうした業績を元に明治六大教育家としても名高いのである。

ふくさわと発音されていたようなのだが、明治維新以降は、ふくざわと発音されるようになったと言われており、現在では「福沢諭吉」と表記されることが一般的だと言われているようである。1835年1月10日に誕生し、1901年2月3日に満66歳まで生きたとされている。

主な著書には、西洋事情や帝室論、西洋旅案内、学問のすすめ、ひびのおしえなどが挙げられる。